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もう一つのリーダーシップ論~第1回:すべてのコインには表と裏がある

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企業研究会誌:ビジネス・リサーチ連載の「もう一つのリーダーシップ論」をこのHPに掲載していきます。


1)ドラッカーの予言

もう15年ほど前になるが、私がニューヨークに駐在していたときの話である。当時、日本経済はバブル真っ只中。よくいえばゴールデン・エイジ。それに反し てアメリカ経済はどん底で、何時ニューヨーク市が破産してもおかしくないと噂されていた時代である。そして、実に多くの欧米企業、コンサルタント、大学関 係者などが“日本企業の成功の秘訣”を探るため、調査、分析を重ねていた。大調査団を日本に送り込んできた米国の企業もあった。当然、日本企業の経営関係 のセミナーも多く開催されており、どこも盛況であった。
ある日、私のアメリカ人の同僚がP.F.ドラッカーの日本に関する講演があるので一緒に聞 きに行かないか、との誘いがあり出かけていった。会場はNY市内の300席ほどの比較的大きなホールであったが、勿論、立ち見がでるほど満席状態で、その 熱気に驚かされたものである。その時の講演内容は、「日本の経済躍進振り」についてであったが、ドラッカーの話を要約すると下記のようであった。
“日本企業の最大の強みはPragmatic(実践的)であることだ。世界市場の購買力が高まっているとき、その勤勉さと実践力が遺憾なく発揮されている のが今の状況だ。しかし、逆に戦略性が欠けていることが弱点で、市場が沈滞化したとき、あるいは混乱したときに日本企業がどのように対応するかが、不透明 だ”と。
私はその話を聞いていて実践的とほめられ、さすがによく分析していると気分をよくし、戦略性のなさにはあまり注意を払わなかったことを 記憶している。戦略とは物事が順調に進行しているときにはその重要性には気がつかないが、順調でなくなったときにはじめて重要性に気がつくということは想 像もできなかったのである。リーダーも同じで順調な時にはさほどリーダーの必要性は感じないが、混乱の時にこそ、その存在が求められるのである。
今、その彼の予言とおりの現実に愕然とするばかりである。

2)落ちた偶像

70-80年代は日本発の経営コンセプトや経営システムが多くあった。しかし、昨今では日本発がほとんどなくなってしまった。アメリカからはもう学ぶものがないなどと多くの日本人が傲慢になっていた時代から、わずか10-15年しか経っていないのに。
又、以前は欧米のビジネスマンにとって日本に駐在することは本国に帰国してから出世するための一つの登竜門であったが、いまや優秀人材は日本を通り越して 中国へ送られるという。日本へ送られるのは2,3流の人材かと自虐的に嘆く駐在員の声を聞いたことがある。そして、最も臍を咬んでいるのが、70年代に“ ジャパン・アズ・ナンバー1”と日本を褒めたエズラ・ボーゲル教授かもしれない。(“アズ・ナンバー1のその後”について彼自身が解説しているが、いずれ 本連載で述べたい。)
実は私は、先述のニューヨーク以外に、英国およびマレーシアにも海外駐在を経験した。米国とマレーシアでの駐在時代は日本 経済が絶頂期の時であり、当時、私は日本経営が世界の中で最も優れた経営手法のひとつであり、しかもその強さは未来永劫変わることはないと信じていた。し かし、90年後半に帰国してみると“失われた90年代”の真っ只中であり、日本経営は自分が信じていたものとは異なったものであった。そこで色々自分なり に調査してみると、結局は日本の強さが逆に仇となり、市場の変化に対応できずに無為無策のままなす術を知らず、あらゆることを先送りするという茹で蛙状態 なのである。不思議なことに海外から茹で蛙状態を指摘されてもそこから抜け出すことを頑なに拒絶していた。私にとってはまさに“落ちた偶像”として映っ た。

3)すべてのコインに表と裏

過去の成功が大きければ、大きいほど抜け出すことは困難となり、改革をより拒絶するのが人間の性である。私が絶対視してきた日本的経営にも大きな弱点が隠れていたのである。まさしく、すべてのコインには表と裏があることに気づかされた。
それでは、優れているはずと信じていた日本経営手法の弱点を補うにはどうするか? ということで、今度はグローバル経営手法へのギアーシフトが必要だと考 え、それ以降は社内でのグローバル手法への改革の後押しをしてきたのである。ところがしばらくすると、やはり欧米型の経営コインにも明確に表と裏が存在し ていることにも気づいた。
グローバル、特にアメリカ経営は株主重視主義、即ち収益追求主義に基づいている。勝者と敗者が明確にわかれ、しかも勝 者が結果のすべてを獲得するという仕組みである。確かに短期的にみれば、競争原理に基づく手法のほうがバイタリティーもあって力強い。しかし、長期でみれ ば社会の混乱、荒廃や地球環境の問題などを引き起こす可能性も大きいのである。
昨今では、グローバル化に関する議題のセミナー、研究会がメジロ 押しであり、関連書籍が本屋の棚を飾っている。ということはそれだけグローバル化についての知識、ノウハウが求められていることは事実である。しかし、単 に知識を吸収しても実践の場における効果は如何ほどであろうか?私にはいつももうひとつしっくりと来ないのである。多くの議論はコインの表側を強調する が、私には同時にコインの裏側もつい見えてしまう。
例えば、リーダーシップ論を読み聞きしてもアメリカ発のリーダーシップ論が多いが、違和感を感ずることが多いのである。
もともと、特にアメリカは民族的、経済的、あるいは宗教的に迫害された人が集まって出来上がった国家である。そのため、基本的に過去を切り捨て、未来志向 を強め、新しい価値観を築き上げてきた。又、バイタリティーはすさまじいものがある。世界中からそのバイタリティーにあこがれる優秀な人材を吸い寄せる社 会である。勿論そこには矛盾も多いがそれを平気で乗り越えてゆく逞しさもある。それにたいして我々日本人は“和”を尊び、“和”を乱すことを極端に嫌うメ ンタリティーである。そのことを無視して、欧米型のリーダーシップ論を押し付けても、拒絶感が先に立つだけではなかろうか?
欧米型のリーダー開発手法の単なる焼き直し論の議論は:
1)価値観のまったく異なる日本人のためのリーダー育成になっていないこと。
(仏つくり論だけであって、如何にして魂を入れるかの議論がまったくない。)
2)日本人の最も弱点である異文化を受け入れる資質をもったグローバル・リーダーシップ論がないこと。
(私はこれが現代の日本人の一番の弱点だと思っている。)
3)モノつくり集団を率いるリーダーシップ論がないこと。
(モノつくりを日本人ほどは重要視しない欧米の価値観にモノつくり組織のリーダーシップ論など
できるのか?)
4)リーダーだけでは組織は動かないことの指摘の欠如。
(リーダー、マネージャー、プロフェショナルとの連携が重要であることの議論が十分とは思えない。)
5)リーダーになることの厳しさやリーダーの欠点、リーダーとして組織の頂点昇りつめた後の議論がないこと。
などである。
すべてのコインに裏表があるということで、欧米型経営と日本型経営のどちらが良いか悪いかの問題ではない。重要なことはすべてに表と裏があること、そして 状況の変化とともに表が裏に変わり、裏が表に変わり得ることをしっかりと認識し、状況の変化に応じて常に表を強調し、裏を減らせるかのバランス感覚が経営 には必要だと思う。又、重要なことはコインの裏側を故意に強調したり、怖がってばかりいては改革はできないということである。

若者へのメッセージ

80年代に世界を驚愕させ、畏敬の念を持たれた日本経済。リーダーシップ論にしても欧米型のコピーではなく、再度、世界が尊敬し、畏敬し、学びたいと思う ようなリーダーの育成はできないものだろうか?明治維新後、アジアから多くの人材が学びに来た。そして彼らは帰国後、それぞれの国で重要なポジションを占 める人たちが多かった。今、日本に来ている留学生たちは何を学んで帰国するのであろうか?日本サイドではアジアの留学生を育成するための明確なビジョンは あるのであろうか?彼らが帰国後、それぞれの国や企業の幹部となり、親日家として日本と深い連携を保ってくれるリーダー達を育成しようという志はあるのだ ろうか?知識やスキルだけを教えても絶対にリーダーにはなりえないと思うのだが。
50-60年代の大学紛争時代にハシカの如く多くの学生が左に 傾き、社会の出てからは経営者になることを目指すという180度反対の考え方に変わったことはあった。しかし、基本的に、人間の性格、価値観というものは それほど容易に変えられるものではない。特に年配者にとって改革は厳しいものである。過去の功績を自己の存在意義として抱きつつ、自分が組織の中で、改革 の障害となっていることさえ認めたくない老害状態の人が多い。自分がこれまで培ってきたスキルや能力を否定され、改革後は自分のいる場所さえなくなると心 配する。これからは、やはり若い人に希望を託すしかない。
現代日本は高齢者と若者との葛藤の時代である。年配者は多額の資産を持ち、年金も裕福 に受給でき、元気で優雅な生活を送る人が多い。反対に若者は色々な社会福祉で年配者を支援しなければならず、といって自分の時にはさほどの恩恵は期待でき ない。少子高齢化状態を放置しておくと確実に国のバイタリティーは失われてゆく。この閉塞感を打ち破り、日本を再活性化してくれる若者が多く出てきて欲し いと願う。人類の歴史の中で老人が革命、改革を起こしたということはまったくない。年を取ることの資産は経験というものである。勿論、経験の蓄積は重要 で、その経験を知識として若い世代に語ることも必要である。しかし、押し付けるべきではない。経験が改革を阻害していることが現在の状況である。
経験と言う名のコインにもやはり表と裏がある。ということで、この連載は主に若い人たちを対象にして、“伝統的な日本型を引きずるのではなく、且つ、単な る欧米型の焼き直しでもなく、しかも世界の目をひきつけるリーダーとは?”の考察を“もう一つのリーダーシップ論”と題して進めていきたいと思う。(つづ く)

グローバルマネジメント研究所フェロー
HIアソシエーツ代表
井上裕夫(花王株式会社 元理事)

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